2013-09-30(Mon)
皇居外苑~リアリティ感のある楠木正成像~
前回、皇居外苑のブログを掲載しましたが、
楠木正成像の写真を撮っていて、不思議な立体感を感じました・・・

なんていうか、銅像なのに、迫ってくるようなリアルティ感・・・・

不思議な感覚を感じて、写真をバチバチ撮ってきました・・・



拍手をパチパチではなく、写真をバチバチですね・・
楠木正成(くすのきまさしげ)公(1294?~1336)は、
鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した武将です・・・
建武の新政(けんむのしんせい)(1333~1336)の立役者で、足利尊氏とともに活躍したのですが、
足利尊氏が謀反したため、湊川(みなとがわ)の戦い(1336)で、南朝に立ったのですが、
北朝の足利尊氏の軍に敗れ、自害したそうです・・
これにより、後醍醐天皇が打ち出した天皇が自ら行う建武の新政は、
約2年半年で終わりました・・・
そして、京都の朝廷(北朝)が実権を握ると思いきや、
それでも南朝(後醍醐天皇)は、反発して、
歴史は、南朝と北朝との対立の南北朝時代となり、
南北朝合一まで、60年かかったそうです・・・
歴史とは、いろいろな事情があるんですね・・・
時代時代によって、立場は、変わるものですね・・・
楠木正成像の写真を撮っていて、不思議な立体感を感じました・・・

なんていうか、銅像なのに、迫ってくるようなリアルティ感・・・・

不思議な感覚を感じて、写真をバチバチ撮ってきました・・・



拍手をパチパチではなく、写真をバチバチですね・・
楠木正成(くすのきまさしげ)公(1294?~1336)は、
鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した武将です・・・
建武の新政(けんむのしんせい)(1333~1336)の立役者で、足利尊氏とともに活躍したのですが、
足利尊氏が謀反したため、湊川(みなとがわ)の戦い(1336)で、南朝に立ったのですが、
北朝の足利尊氏の軍に敗れ、自害したそうです・・
これにより、後醍醐天皇が打ち出した天皇が自ら行う建武の新政は、
約2年半年で終わりました・・・
そして、京都の朝廷(北朝)が実権を握ると思いきや、
それでも南朝(後醍醐天皇)は、反発して、
歴史は、南朝と北朝との対立の南北朝時代となり、
南北朝合一まで、60年かかったそうです・・・
歴史とは、いろいろな事情があるんですね・・・
時代時代によって、立場は、変わるものですね・・・
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