2012-07-09(Mon)
大英博物館 日本~巨大古墳の謎~日本人先祖の考え方について
NHKスペシャル(7月8日(日)PM9:00~9:49)の
「大英博物館 日本~巨大古墳の謎~」を見ました・・・
なかなか古代の謎って面白いですね・・・はまってしまいます
さて、今回は、大英博物館にある日本の展示品についてです。
その中に、巨大古墳に関する展示品があるそうです。
年代は、紀元3世紀~7世紀に盛んに作成された巨大古墳の話です。
ちょうど卑弥呼の時代(前)と聖徳太子の時代(後)の間に当たる年代だそうです
この古墳は、今でいうお墓のことですが、”前方後円墳”という形になっていて、
前方が丸くなって、”てるてる坊主”みたいな形になっています。
全国では、4700個ぐらい見つかったみたいですね・・・
詳細はこちらまで→ウイキペディア/前方後円墳
そして、卑弥呼の墓は、奈良県にある箸墓古墳(はしはかこふん)
(全長278m、高さ30m)では、ないかという噂はあるが定かでない・・・
また、仁徳天皇陵(全長486m、高さ35m)の墓は、5世紀前期~中期に作成
されたらしく、現状での規模では、日本最大である・・
また、この古墳を調査したのは、”ウイリアム・ガウランド(1942年~1922年(80歳没))”
という人で、調査結果を大英博物館に約千点ほどを寄贈したらしいです・・
この人は、30歳の時に日本の明治新政府から、大阪造幣寮(現・造幣局)の
お雇い外国人技師として招聘を受け、日本では”日本考古学の父”とも呼ばれ、
とても尊敬されている方です・・・
その調査資料には、当時では、とても高価であった写真で当時の採掘風景を
撮って残したり、また、どこに何があったかを詳細に残した資料も一緒に
寄贈していて、当時の情景を垣間見ることができる貴重な資料とされており、
”ガウランド・コレクション”と呼ばれているそうです・・・
今回は、”芝山古墳”を、各関係者の協力により、当時の情景をガウランドの
記録により、再現し、また、コンピュータグラフィックにより鮮明になって
解りやすくなってました・・
さすが、日本考古学の父ですね・・・
そして、ガウランドが最も注目していたのは、7世紀の最後の巨大古墳と
呼ばれる”丸山古墳”でした。
彼自身もいろいろと調査したらしく、本物の墓(以降「墓室」と呼ぶ)が
ある位置に注目していたらしいです。
「大英博物館 日本~巨大古墳の謎~」を見ました・・・

なかなか古代の謎って面白いですね・・・はまってしまいます

さて、今回は、大英博物館にある日本の展示品についてです。
その中に、巨大古墳に関する展示品があるそうです。

年代は、紀元3世紀~7世紀に盛んに作成された巨大古墳の話です。
ちょうど卑弥呼の時代(前)と聖徳太子の時代(後)の間に当たる年代だそうです
この古墳は、今でいうお墓のことですが、”前方後円墳”という形になっていて、
前方が丸くなって、”てるてる坊主”みたいな形になっています。
全国では、4700個ぐらい見つかったみたいですね・・・
詳細はこちらまで→ウイキペディア/前方後円墳
そして、卑弥呼の墓は、奈良県にある箸墓古墳(はしはかこふん)
(全長278m、高さ30m)では、ないかという噂はあるが定かでない・・・
また、仁徳天皇陵(全長486m、高さ35m)の墓は、5世紀前期~中期に作成
されたらしく、現状での規模では、日本最大である・・
また、この古墳を調査したのは、”ウイリアム・ガウランド(1942年~1922年(80歳没))”
という人で、調査結果を大英博物館に約千点ほどを寄贈したらしいです・・
この人は、30歳の時に日本の明治新政府から、大阪造幣寮(現・造幣局)の
お雇い外国人技師として招聘を受け、日本では”日本考古学の父”とも呼ばれ、
とても尊敬されている方です・・・
その調査資料には、当時では、とても高価であった写真で当時の採掘風景を
撮って残したり、また、どこに何があったかを詳細に残した資料も一緒に
寄贈していて、当時の情景を垣間見ることができる貴重な資料とされており、
”ガウランド・コレクション”と呼ばれているそうです・・・

今回は、”芝山古墳”を、各関係者の協力により、当時の情景をガウランドの
記録により、再現し、また、コンピュータグラフィックにより鮮明になって
解りやすくなってました・・
さすが、日本考古学の父ですね・・・

そして、ガウランドが最も注目していたのは、7世紀の最後の巨大古墳と
呼ばれる”丸山古墳”でした。
彼自身もいろいろと調査したらしく、本物の墓(以降「墓室」と呼ぶ)が
ある位置に注目していたらしいです。

従来ならば、前方の丸の中心部の下に墓室があるはずなのに、
この”丸山古墳”においては、その中央から21.52mずれた場所に
あったらしいのです。
これは、従来の古墳では、加工して詰まれた石を積んで墓穴を作って、
そこに墓室を持っていたのですが、
今回の”丸山古墳”では、自然のままの巨石の石で積んでいき、墓穴を作ったところ、
無理が利かなくなり、中央まで墓室の墓穴を作れなくなったのが原因らしいです・・・
日本人としては、自然のままの巨石化の状態で積み、墓穴を作りたかったというのが
”日本人先祖の願望”だったらしいと、今では、推察されています・・・
これは、中国から取り入れた墓室の作り方を、”日本人らしく、日本化しよう”と
考えたのではないかと思われています・・・
そういう意味では、日本人って只者ではないですよね・・・・
一旦受け入れ、それを自分独自に改良していくという思想は、
とても大切なことなのではないでしょうか・・・・

でも、今回に関しては、
この方式が日本の願望にそわなくなったという証明でもあるのですね・・・
そして、以後、こういう巨大古墳はなくなったみたいです。
ちょっと脱線しますが・・・
一時期、松下電器(現パナソニック)は、他会社の商品を真似する為に、
”マネシタ電器”と言われた時期があったそうです・・・
でも、松下電器は真似をしていても、その商品の”一歩上をいくという商品”にして
商品化したみたいですよね・・・
単なる真似でなく、それを自分独自のものにして一歩上をいくという姿勢って、
とても日本人向きなのでは、ないでしょうか・・・・
どうぞ皆様も”優秀な人物や商品を真似し、その一歩上をいくものを創り上げ”
心地よいことがありますように・・・

この”丸山古墳”においては、その中央から21.52mずれた場所に
あったらしいのです。
これは、従来の古墳では、加工して詰まれた石を積んで墓穴を作って、
そこに墓室を持っていたのですが、
今回の”丸山古墳”では、自然のままの巨石の石で積んでいき、墓穴を作ったところ、
無理が利かなくなり、中央まで墓室の墓穴を作れなくなったのが原因らしいです・・・

日本人としては、自然のままの巨石化の状態で積み、墓穴を作りたかったというのが
”日本人先祖の願望”だったらしいと、今では、推察されています・・・
これは、中国から取り入れた墓室の作り方を、”日本人らしく、日本化しよう”と
考えたのではないかと思われています・・・

そういう意味では、日本人って只者ではないですよね・・・・
一旦受け入れ、それを自分独自に改良していくという思想は、
とても大切なことなのではないでしょうか・・・・


でも、今回に関しては、
この方式が日本の願望にそわなくなったという証明でもあるのですね・・・
そして、以後、こういう巨大古墳はなくなったみたいです。
ちょっと脱線しますが・・・
一時期、松下電器(現パナソニック)は、他会社の商品を真似する為に、
”マネシタ電器”と言われた時期があったそうです・・・
でも、松下電器は真似をしていても、その商品の”一歩上をいくという商品”にして
商品化したみたいですよね・・・
単なる真似でなく、それを自分独自のものにして一歩上をいくという姿勢って、
とても日本人向きなのでは、ないでしょうか・・・・

どうぞ皆様も”優秀な人物や商品を真似し、その一歩上をいくものを創り上げ”
心地よいことがありますように・・・


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